能楽記事アーカイブ

8月24日土曜日
今年も無事に所沢ミューズさんの「触れてみよう能楽の世界」と題した講座能が終了しました。
今年は、プレイベントとして、今年のテーマ曲の葵上を深く掘り下げた解説講座や、劇場のバックステージツアーと謡やすり足の体験イベントで盛り上がりまして、24日は、キャストを交えての解説やお話、囃子の演奏など、能の魅力にたっぷり触れていただいて、最後に葵上をご覧いただく趣向でした。

おかげさまで今年は三階席までお客様が入る大入りで、プレイベントと合わせ3日間で、のべ1千名のご来場を賜り、この催しの観客動員数を更新したとの事。さすがの屈指の人気曲。源氏物語題材の作品でした。

ご来場賜りましたお客様、ご出演の皆様、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

このイベントの最中、はや来年の企画会議もスタートしまして、来年もミューズさんと能の魅力をお伝え出来るような素敵なイベントを企画したいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


























7月は、九皐会の定例公演(大仏供養、小督)若竹能(善知鳥、融)、国立能楽堂ショールーム公演(熊坂)、栗原能(葵上)、台東薪能(清経、一角仙人)、鎌倉能舞台定例(小鍛冶、雷電)と出演が続き、その間に非公開の一門の歌仙会など夏の行事もあり、勉強と稽古に追われてすっかり更新が止まりました。いずれの会も盛況でした。

本番の舞台にいる時間より勉強や稽古している準備の時間の方が圧倒的に長いので、本番が立て込んでくると余裕がなくなります。
よく本番の舞台がない時は、お休みかと思われますが、本番は、ほんとに氷山の一角、1%とか、せいぜい数%なので、それまでの準備が全てといってもいいくらいです。
まあこれは役職とか人によっても違うと思いますが、歳と共に準備の時間が年々増えるのはいずくも一緒です。

夏の無事を願います。皆様もどうぞ御身ご自愛くださいませ。















写真は栗原能で勤めた仕舞 大江山より


気がつけば八月。驚く程の暑さですね。
野外の催しはなかなか厳しいものがあります。熱中症に気をつけねば。

今年は矢来能楽堂九皐会八月定例公演もお休みなので、薪能出演とミューズの公演に集中して参ります。


7月初旬
週末、涼しい秋田に稽古行来ましたが、東京の豪雨で帰りの便は欠航になり足止め、一日休養と移動日になりました。とはいえ今回は角館や田沢湖にも足を伸ばせて楽しかった。
戻って熱射の青梅の学生能に参加。体育館は暗幕と扇風機全開で、生徒さんたちと暑さを凌ぎました。
今週は、以前から告知していました所沢ミューズの事前講座がございます。
平日ですが、ミューズメンバーズは、なんと1コインで私のお話が楽しめます。(一般1,000円)
今回のテーマは源氏物語ですから、私もこのところ、林望先生の源氏物語のKindle版が手放せません。
当日は解説したり、面や道具を紹介したり、舞ってみたり、呪文を歌ってみたり、葵上を演者目線で詳しくお話ししつつ楽しい講座にしたいと思います。
多分あっというまの70分。
チケットは、ネットで購入出来るそうです。
会場は本番の会場とは違うキューブホールです。
現在200名以上ご参加の事。ありがとうございます。



昨日 桑田君の融が無事に終わりまして、2024年の前半を折り返しました。
大河ドラマを見ていたら、帝や大臣がノウシという装束をお召しでしたが、ミカドが召されるわけですから最高の装束なわけです。能では特別な小書の時に許されますね。昨日の舞台も直衣姿の雅な舞でした。

さていよいよ後半戦スタート。本日は、文化庁主催で、九皐会の学校公演で都内ひばりヶ丘の学校の特設舞台で土蜘蛛他の能楽公演でした。
私は土蜘蛛のシテを勤めさせていただき、子供達も大変楽しい舞台だったようで、終了後の質問コーナーで、全校生徒全員から手が上がるような勢いで、熱心に鑑賞いただきました。
今年も各地の色々な学校公演に参加させていただきます。楽しみです。




 6月公演も桑田君の能まつり「融 舞返」でしめくくり。私は後見を勤めます。光源氏のモデルの一人といわた融の大臣の能

融はポピュラーな演目で、舞のお稽古を長くされている方は、一度は融の早舞に挑戦されるほど、舞ってみたくなる舞尽くしの演目。今回は舞返しという小書演出なので、一度舞ってさらに違うテンポで舞うという演出で、舞はもちらん囃子の演奏も見どころ聴きどころです。先日の夕顔で語られた六条河原の院は、この融の大臣の大邸宅をモデルとしているともいわれます。自宅の庭園に海を作り船を浮かべて月夜に宴を開いたという一代限りの壮大なな遊び。現代のキャンプファイヤーのはしりですね。

また来月に矢来能楽堂で、若竹能という催しがあり、中森健之介君がスタンダードな融を勤めます。普通の時と小書が付く時では、演じ方や舞の寸法が違うので見比べてみるのも良いかもしれません。
若竹能では、私が地謡を勤めさせていただきます。(能まつりでは地頭は観世喜正師)メンバーや演出が変わると、また新鮮な感じがするのが能の面白いところです。こちらも是非お楽しみください。


6月公演より

6月15日土曜日の舞台無事終わりまして、ご来場賜りましたお客様、誠にありがとうございました。
この日、一部二部共に盛況で(2部は新井麻衣子さんと野村萬斎さん出演).ありがたい限りでした。


夕顔についてですが、演者の意図というのをあまり話さない方がよいと思っておりまして、こちらが意図した通りに見えないのが面白いとこでもありますし。

お客様それぞれに空想を広げていただいた方が良いと思っております。


ざっくりとした設定としては、前場の謎の女は、夕顔の女の化身の女、夕顔本人のようでもあり、違うようでもあり。

能の前シテは、よくこうした化身した人物が登場します。

男の場合だとお爺さん、尉で出ることが多いですが、女の場合は市井の里女で、身分はそれほど高くない姿で現れます。

しかし、絵巻のような美しい唐織を着ていたり、当事者しかわからないような事を知っています。

なんだか不思議な謎めいた存在で、辻褄が合うような合わないような。

やがて、実は私は。。。となにやら正体を仄めかして消えるのです。


後場は夕顔の君の霊。

僧侶のお経に引かれて現れますが、それも本当は僧侶の夢の中なのか、幻なのか現実なのかよくわからないという設定です。


今回出した藁屋の作り物も、女の家のようでもあり、夕顔の棲家のようでもあり、何某の院のようでもあり、それもしかし幻なのかもしれませんという設定なのです。


まさに夢現つ。夢幻といういう夢物語の設定です。

なので、いろんな仕掛けがありますが、空想を膨らませてご覧いただけたらよかったと思います。



こぼれ話としては、この日の夕顔は、なんといっても装束が美しく、絵巻のような唐織と、金箔の素晴らしい紫地の扇面長絹で、こうした時代を経た装束は生涯何度と着れる機会があるわけでない素晴らしい物でした。


また山ノ端の時に出す作り物の藁屋も、だいぶ時代が付いて趣がありまして、それに這わした蔦と白い花は、以前私が勤めた半蔀立花供養の時の小さな夕顔の花の蕾でした。矢来能楽堂の黒ずんだ磨きこまれた舞台とよく合っています。私の若い頃は、早稲田に竹屋さんがありまして、3、4メートルの竹を担いで帰ってきて、先輩に細工を教わったりしました。昔は必要に迫られて、なんでも自分達で舞台道具の製作にも携わったものです。それが今に生きています。


また、今回の面は、同じ作者による同じ顔の若女ですが、少し大人びた面相と、やや明るい面相のものを前場と後場で使い分けました。


その他、細々と今回ならではの細かな演出の差異がありまして、一度限りの趣向を凝らした能の舞台でした。


お時間を共有していただいたお客様に厚く感謝御礼申し上げます。


九皐会の定例公演では、私は11月10日(日曜日)の「景清」でシテ景清を勤めます。

源頼朝暗殺を企てたことのある反骨の武者、悪七兵衛景清。源氏の世は見たくないと自らの目をえぐり出し盲目となり、今は九州宮崎へと流されています。

そこへ鎌倉から娘が現れ、自らの過去を語り出します。

観世流九番習の一つに数えられる現在能の名曲。是非矢来能楽堂へお越しいただければと思います。

ご来場お待ちしております。

(チケットは九皐会ホームページからカンフェティチケットでお求めください)



6月15日土曜日 九皐会 1部 夕顔 山ノ端ノ出

申合せリハーサル終わりまして、当日はおよそ1時間20分位でしょうか。
体調も良いので集中して勤めたいと思います。
装束も源氏物語に相応しい素敵なものが揃いました。
作り物が出ると、より雰囲気がありますね。
あとは観てのお楽しみに。

最初に仕舞三番に続いて、そのまま能になると思います。宜しくお願いします。

チケット残席僅とのこと。
九皐会ホームページからカンフェティでお求めください。
ありがとうございます。



6月の夕顔公演が迫りました。
解説致します。
この曲は、源氏物語の夕顔の巻に登場する夕顔の女を主人公とし、その霊を鎮魂する夢幻能で、鬘物、三番目物と呼ばれる最も幽幻味があり優美な演目の一つ。 
能は、夕顔ノ巻の後日談的な設定なので、まずは原作、源氏物語の夕顔の巻のおさらいから。ここを知らないと能がわかり辛いので、時間があれば原作か現代訳かYouTubeなどの解説を見る事をお勧めします。

 原作 源氏物語 夕顔関連のおさらい

 光源氏 桐壺帝の第二皇子。

光源氏は、生まれながらに特別美しく才能あふれる子だったが、母を三歳で亡くし、帝の配慮により源氏の姓を賜って臣下に下り、光源氏と呼ばれる。


12歳の時、左大臣家の4歳年上の葵上を正妻に迎えるが、葵上とは馴染まず、他の女性に心惹かれてゆく。

(原作者、紫式部の生きた藤原道長の時代)の貴族の結婚は、通い婚、妻問婚の風習が残っていた。それが物語の中に色濃く描かれる。 当時の皇族、貴族は、正妻のほかに、側室や恋人を持ち、子を成すことがあった。身分により様々な呼称があった)


 正妻 葵上(あおいのうえ) 

左大臣家の姫で光源氏より4歳年上。光源氏と16歳の時に結婚。ようやく10年目に光源氏の子、夕霧が産めれたところで六条御息所の生霊が現れ26歳で絶命する。


 頭中将(とうのちゅうじょう)  葵上の兄。

光源氏の友でありライバル。恋多き男。大臣家の正妻を持つが、光源氏と同様に浮名を流す。

ある雨の夜の源氏との女性談義で身分の高くない女性(夕顔)との交際を仄めかす。

 「山がつの 垣ほ荒るともをりをりに あはれはかけよ 撫子の露」 (夕顔)が本妻に酷いことを言われて心細く思い、頭中将に詠んだ歌がこれ。


男の通いが遠のいた事と、子供の事が暗示されている。後に光源氏は夕顔と恋仲になるのだが、頭中将との間に娘(玉鬘)がいることは、その時はまだ知らなかった。

実は夕顔は娘を乳母に預けて五条に身を隠していた。


 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)  光源氏より7歳年上の元皇太子妃。

東宮(皇太子 桐壺帝の弟、光源氏は桐壺帝の子なので叔父にあたる)との間に娘(秋好中宮)をもうけたが二十歳の時死別し未亡人となる。美貌教養身分と、物語随一の貴婦人。六条に住む。

光源氏夕顔と出会う前、六条御息所のところへ通っていた。光源氏16歳御息所24歳頃。


御息所は、その立場と年齢差もあり、抑圧された情念と恋敵への嫉妬は、やがて自らの生霊を生み出す。夕顔や葵上の死の直前に、御息所と思しき生霊が現れる。 



 夕顔(ゆうがお) 能「夕顔」「半蔀」のシテ(主人公)との出会い

光源氏が五条に住む乳母(従臣惟光の母、当時は赤子の乳は乳母が与えた。多くの子を産むため母親の栄養を赤子の養育で摂られない為ともいわれる。したがって身内の子を持つ女が乳母となった)の見舞いに庶民的な街並みの五条辺りの家を訪ねると、隣の家の半蔀(出窓)が上がっていた。


そこに何やら女性の気配を感じた光源氏は興味を惹かれる。蔦が絡まり、傾いた軒端に白い花が咲いていた。 「白き花ぞ おのれひとり笑みの眉開けたる」 と源氏は思い。 「うちわたす遠方人に物申す、われ そのそこに白く咲けるは何の花ぞ」と、古今集の和歌を何気に口ずさむと、従者は、「花の名は人めきて」 このようなみすぼらしい垣根に咲くのです。と、夕顔の花を教える。


源氏が一房折って参れと従者にのたまうと、家の中から女童が香を焚き込めた扇を持って出てきて、花を載せて渡すようにと差し出した。

そこには女性の和歌が添えてあった。 「心あてにそれかとも見る白露の 光添えたる夕顔の花」(もしや光源氏様ではないですか?) 


光源氏の返歌「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」(近づいて確かめてみたらどうでしょう)  *(この和歌の解釈には、様々異説あり。) これを機に暫くして光源氏は、五条の夕顔のもとに通うことになるが、お互いの素性は隠して打ち明けなかった。しかも最初は覆面(それで交際が成立するのだから不思議) 


ある夜明け前、源氏は、夕顔を誘って「何某の院」という廃院に出かける。夕顔の所は、狭く、隣近所の声も聞こえて落ち着かなかった。

車の用意を待つ間、夜明け前に御嶽信仰の優婆塞うばそく(在家修行者)礼拝の声が「南無当来導師 なむとうらいどうし」と聞こえる。 

いざ何某の院に着くと、何やら恐ろしい雰囲気。源氏は夕顔に、あなたは以前に他の人とこんな風にお出かけした経験がありますかと尋ねる。

夕顔は頭中将の過去を見透かされたようで恥ずかしく 「山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ 」*(この和歌は、月は源氏か、夕顔かで異説あり)と答える。 


能「夕顔」の小書演出「山ノ端之出」は、この歌をシテの女が藁屋の中で歌うところから始まる演出。


山が源氏、月を夕顔とする翻訳、また、月を源氏、山の端を夕顔とする解釈がある。

「山ノ端(稜線)の気持ちも知らないで、流れて行く月は やがて空の上で消えてしまうのではないでしょうか」

夕顔を月とした場合は、別れの予感。

光源氏を月とした場合は、光源氏の心変わりを案ずる夕顔の不安な心と捉える。


すっかり夕顔のとりこになった源氏は、夕顔の素性が気になって仕方がない。

夕顔に尋ねても「海人の子」(卑しい身分で明かすほどではない)とはぐらかしてしまう。 

その夜、源氏の夢に女(六条御息所と思われる)が現れ、恨み言を言う。目覚めると禍々しく恐ろしい気配に従者達を起こすが、気がつけば夕顔は絶命していた。花の如く儚い運命だった。


能「夕顔」では、「クセ」という前半の曲中の詞章の中で、この何某の院での出来事が地謡によって謠われる。


夕顔は、頭中将と光源氏の二人の求愛を受け、源氏との恋に花開いたところで突然と散ってしまった。


この後、光源氏は夕顔の亡骸を秘密裏に従臣惟光に運ばせ荼毘にふす。享年19歳。

光源氏17歳であった。



男女の交際

ものの本によれば、当時の交際は男が女のもとに通う。文を交換して、やがてお互いが気に入る。あるいは女の親族が許せば、夜に女のもとに通い、朝には帰る。結婚する時は三日続けて通う事が意思表示だとか。

正式に結婚して、ようやく日中、女のもとに通える。また一緒に住むこともあった。

一方、足が遠のき通わなくなったら自然消滅、離婚ということであったとか。

正妻の他に何人もの恋人のもとに通ったりして、女の方は男の来訪をじっと待つ。何やら男が一方的な主導権を持っているようだが、結婚は女の一族の意見が重要だったようだし、まずは文や和歌を送り、女側が気に入れば徐々に交際に発展する。しかし、女が男を追い返す事もあったようなので、それなりの条件が揃わないと恋人になれないのは、今も昔も同じですね。


子が産まれれば女の一族が子供を養育する為、自ずと女の一族の影響は強く、こうして藤原道長のような幼い天皇を育て補佐をする母方の一族が実権を握る摂関家が誕生する要因なったという。

源氏物語はフィクションだが当時の風習の一旦を感じさせ、現代の結婚感との違いが面白い。


また、この頃の平均寿命は栄養状態が悪く現代より短く、30歳とも40歳とも言われる。幼児の生存率も低く、疾病に対する医療も発達してないので致死率も高い。それが結婚感や死生観に影響を及ぼしたと推察する。

病になれば、薬師の民間療法や加持祈祷(悪霊の仕業として巫女呼んで霊を召喚し、行者がそれを払う)という、まさに能 の「葵上」のようなことは実際あったようだ。

命は儚く生あるうちに多くの子を設けて一族の繁栄を願う。故に早婚だったのだろう。


長〜いおさらいになってしまいました。


これを踏まえて能「夕顔 山ノ端之出」を解説。

この曲は、源氏物語の夕顔を弔う鎮魂曲で、幽玄味があり、能の三番目物、鬘物という最も優雅な曲趣の風情を湛える。


九州豊後(原作に登場する夕顔の娘、玉鬘が乳母子の豊後介の助けで上京したという源氏物語の筋にかけていると思われる)から京都見物に上京した旅の僧が、雲林院、下賀茂上賀茂神社など名所旧跡を周り、五条辺りを歩いていると、古びた家があった。

(能では、藁屋という人一人が入れる藁葺き屋根の作り物で、夕顔の家、また何某の院に見たてる。能舞台は3間四方の柱間5メートル弱の空間なので、実際には大きな空間、世界を凝縮してそこにイメージを写して描いている。イメージを膨らましてご覧いただきたい)

*この夕顔が、隠されて姿を現さない時間が意外と長い。

原作の最後まで夕顔が正体を隠している事や、光源氏と結ばれるまでの時間の長さ、また、何某の院の隠れ院など、様々想像しながらご覧いただけたら良いかもしれない。


その中から、何やら女の和歌を読む声が聞こえてきたので様子を伺った。


山の端の心もしらで行く月は

上の空にて 影やたえなむ 


そして中国の故事(巫山の神女との恋の話と、帝王の死を嘆き死んだ女達の故事)を引き合いにして、男女の契、恋の儚さを歌っていた。

この時、舞台上の藁屋には、引廻しと呼ぶ布がかけられ、女の姿は見えず声しか聞こえない。

山ノ端之出では、サシ、下歌の詞章が省かれ続く上歌を地謡が謡うなどの演出の差異がある。



能の演出では、多くの登場人物は出てこないので、残念ながら光源氏は登場しない。
源氏物語関連の演目の多くも光源氏は登場せず、もっぱら女達の想いや回想の記憶として語られる。能「葵上」においても、光源氏は登場しないし、葵上すら衣で表現する。
観客それぞれの光源氏を思ってご覧いただければと思います。
この夕顔においては、夕顔の一人語りで地謡が多くを代弁し、その聞き役としてワキ方の旅僧が登場する。


さて旅僧が女に、此処はどこか?と尋ねると、「何某の院」と答える。
何某の院とは、奇妙な名前だとさらに尋ねると、
「紫式部は、源氏物語の中で、何某の院と書いて、そのをはっきり言わなかったが、此処は元々、融の大臣(嵯峨天皇の皇子で臣籍降下して源融と名乗った。光源氏のモデルの一人と言われる)のお住まいで、その後、光の君が、夕顔をお連れになって、鬼のためにか、夕顔の儚い命を取られて辛い思いをしたところです。今は、屋敷の鬼瓦も苔むした河原の院というところです。」
旅僧は、昔から有名なところに来たと喜び、また玉鬘と縁ある豊後の国から来たので、是非、その夕顔の話を聞かせて下さい、弔いましょうと乞うた。

そうして女が語る態で、光源氏との出会いから何某の院の怪異を物語った。(能では、クリ・サシ・クセという主に地謡が謡い語る場面) 
夕顔が闇の中で突然として死んでしまった話をしたところで、女も忽然と消えてしまった。
(シテの中入)

五条辺りに住む男(間狂言)がやって来て、旅僧を見つけ会話となる。
ここで男より夕顔の上の事を改めて詳しく聞かせてもらう。
間語りは口語体のセリフでわかり易い。
そして、僧が先ほどの不思議な体験を語ると、今夜はここに泊まり夕顔を弔うが良いと勧められて、夜の間、お経を唱え始める。

能の定番
旅僧が主人公と出会い、話を聞いていると消え失せ、所の男から夕顔の物語を再度わかりやすく聞き、弔いを勧められて夜に法要の為の経を唱えると、果たして主人公が在りし日の姿で僧の前に現れるというは能の定番の演出。
舞を舞い、弔いを受けて夜明けと共に成仏して夢幻のように消えてゆく。よってこういう能を夢幻能という。


女人成仏
能の後半
いよいよ夕顔が僧の夢に現れる。能では長絹(ちょうけん)という舞装束姿で登場する。
最初のセリフ(謡い)
女は五障の罪深きにと謡う。

この台本の書かれた当時の考えでは、女性は普通に成仏出来ない。
変成男子というプロセスを踏んで成仏すると考えられていた。  

そうした業を持って生まれた事を罪深きと言っている。そして、怖しい物怪に襲われた有様を見せ、迷いを払って成仏さてもらうために夢に現れたと語り、弔ってほしい頼む。

すると辺りは、荒れ果てた何某の院の恐ろしい景色となる。

ここで、能では、物怪に襲われる様を語らずに、静かに舞を舞い始める
この舞は、抽象的な舞で、ひとつ一つの型に、物語の出来事を具現化して関連さているわけではないが、如何様にも捉えることが出来るので、あれこれ思いながら見れると良いかと思う。
やがて夕顔は、僧侶の弔いを受けて、闇の中から徐々に成仏に向かう。

キリ(エンディングー終章)
夕顔は、僧侶の法華経の弔いの功力で、変成男子を経て成仏し、迷いを晴らし朝日登る前の雲の中に消えていった。

それは、僧侶の見た夢だったのか、幻だったのか。
能は静かに終わる。

と。あとはご覧になっていただければありがたく存じます。見る人それぞれの解釈が出来るような能だと思います。
今回、伝わる演出や工夫が色々ありますので、一味違う夕顔になればと思います。

まだお席ありますので、よろしければカンフェティからご予約下さい。ご来場お待ちしています。

なお、今月の九皐会矢来能楽堂の定期公演は土曜日です!お間違えなく。





観世九皐会6月定例公演。夕顔は序の舞を舞う優雅な演目。
山ノ端の小書演出が付きますと、藁屋という作り物が出まして、趣が変わります。
また型や舞も変わりますので、幽玄味が増しますね。
装束は、このイメージ写真の物とは違うものを使う予定です。お楽しみに。


矢来能楽堂、観世九皐会の定期公演。
毎月定期公演が行われますが、六月は15日土曜日は、といつもと違う日程なので、お間違えなく。
私は一部の夕顔にシテで出演。この日は源氏物語題材の二つの能。光源氏との逢瀬の最中、物怪に襲われ儚く亡くなった夕顔を主人公した作品と、
2部では、その物怪の本体と思われている六条御息所が出てくる能、葵上。
今年は大河ドラマが紫式部なので、それにあやかってか源氏物語の作品が、数多く上演されます。


葵上は、私も8月に所沢ミューズの大劇場で、シテを勤めますので、私のファンの方は、是非八月の葵上を大劇場で見ていただきたいです。

夕顔について、また改めて書きますが、私も林望先生の謹訳源氏物語一巻読み直しました。

夕顔は、原作を読んでから、見て欲しい演目。なぜなら、原作の後日談的な話なので。
夕顔の巻を読んでない人は是非、ネットで斜め読みでも良いのでお勧めします。漫画だと、あさきゆめみしとかいいかな。

YouTubeで沢山夕顔解説ありました。今の時代はこれですかね。月13日

さて昨日は、矢来能楽堂観世九皐会の定期公演がありまして、私は一部の室君の地謡と2部の百万の仕舞でした。
室君は、九皐会では初じめての上演だったようで、滅多に上演されない演目でしたが、上演時間も長くなく、華やかな演目なので、今後はレパートリーに入ってくるかもしれません。
ただ、これシテの謡がなく、あまりシテの内面を描く能ではないので、棹の歌を謡う室津の女達の華やかさや、室の明神の本地として現れるシテの舞を楽しむという趣きかと思います。昨日は五段の中ノ舞という近年珍しい長め舞を舞われてましたね。
室津は夕日が綺麗な場所で、史跡巡りで以前訪れました。その時の情景を思い出しました。あの辺りは高砂の明神とセット行くと、楽しいかと思います。おおすすめです。
さて、昨日私は百万という女物狂の仕舞を勤めました。笹ノ段という、一曲の舞どころの一つ。舞手と地謡が交互に掛け合って謡うのが特徴的な場面。
実はこのシテ百万は、我が子を探す母親で、子供との再会を仏に祈って終わります。仕舞では合掌という型で表現します。写真はその場面。撮影駒井カメラさんです。

能の時は、嵯峨の大念仏に現れた百万が、狂女笹を持って舞いますが、仕舞の時はお扇子で舞います。



5月6日



矢来能楽堂恒例 5月連休イベント 土蜘蛛公演
はじめての矢来能楽堂
昨年大好評で、今年は2回公演になりましたが、満員御礼で今年も大好評でした。

この公演は、終演後にフォトセッションタイムという、公演直後にスマホで撮影が出来るおまけが付いてまして、毎回これが盛り上がりますね。
今年は午前の部は私が中身のシテでした。#土蜘蛛でTwitterにお客様が写真を上げてくださったりします。
今年も素敵な写真がupされてます。
どうもありがとうございます!

前日5月5日に、新宿フィールドミュージアムの芸術文化体験広場で、能楽ワークショップをしてきましたが、参加してくれた親子連れの方が見に来てくれて嬉しかったです。
フィールドミュージアムの体験イベントは、西新宿の花伝舎という、元小学校の広い施設であったのですが、子供達の学園祭みたいな楽しい雰囲気の中で、様々な文化芸術に触れられることが出来るとというもの。
今は、子供の頃から能に触れる機会が増えてきたので、親御さんより詳しい子供達がいますね。
楽しみにながら触れてもらいたいと思います。




5月3日

連休で賑わう鎌倉大仏と長谷寺の間にあります鎌倉能舞台さんの公演に伺いました。早朝から江ノ電は混んでました。

さて源氏物語題材の作品は、原作に触れている方も多いので、タイトルからして選曲し易いそうで、2つの公演とも大入りの舞台でした。

須磨源氏も玉鬘も、源氏物語でも有名な場面から着想を得ているのは明らかですが、原作とは違うストーリー。原作のイメージを膨らませて転用しています。

恋に苦悩して舞う玉鬘や、颯爽と天上界から降り立つ光源氏は、能ならではの作品です。現代でも小説や漫画が実写化される作品は多いですが、能はそのはしりです。

きっと昔も、原作ファンから、原作のイメージと違う!なんて声もあった事でしょうね。

私が6月に矢来能楽堂で演じる夕顔も、また、8月に所沢ミューズで演じる葵上も、やはり源氏物語の原作そのままではなくて、登場人物は同じですが、原作のイメージを踏まえて作られた別のストーリーです。

夕顔主人公には、もう一つ半蔀という作品があって、夕顔と光源氏との出会いのイメージを元にしたのが「半蔀はじとみ」、もののけに襲われ儚く散ったイメージの夕顔が「夕顔」です。

同じ夕顔が登場でも、作品の雰囲気が違うので、演じ方や演出、ストーリーが違うのが、興味深いです。

私は半蔀は、過去何度かさせていただいてますが、今回は趣の違う夕顔をどう演じるか思案中。どうぞお楽しみに。

原作を読んでから、ご覧いただくと興味倍増です。

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